第七章 松平氏

幼い頃の麻子が松平家の廊下にしゃがみ、半分開いた障子の隙間から居間の奥に置かれた龍亀彫りの古い供物台をそっと覗き込んでいる。昼下がりの光が畳に静かに落ち、部屋はどこか整いすぎて見える

麻子がその供物台を最初に見たのは、まだ子供の頃だった。

父母に連れられて神奈川の松平家を訪ねた夏の日だ。車窓の外には田が広がり、低い山の向こうに海がちらちら見えた。兄は退屈して、切符の裏に妙な顔を描いては麻子に見せてきたが、麻子のほうはそれどころではなかった。見慣れない土地へ出かけるだけで胸が躍る年頃だったし、何よりその頃にはもう、中国の字や古いものに強く惹かれ始めていた。

松平家の家は大きく、きれいに整っていた。

庭木はきちんと刈り込まれ、石灯籠の足元の苔まで行き届いている。客間の畳には塵一つなく、花も、茶碗も、棚の置物も、どれも少しもずれていなかった。子供心にも、何もかもが「決まった場所」に収まっている家だと思えた。

大人たちが茶を飲んで話し始めると、兄はすぐに飽きて、麻子を引っ張って廊下へ出た。二人で何度か追いかけっこをした拍子に、麻子が壁際の大きな棚へ肩をぶつけた。棚の上のものがわずかに揺れ、松平のおじさんが慌てて手を伸ばして支えた。

その時だった。

麻子は棚の上の供物台を見た。

客間の中で、それだけが妙に浮いていた。

松平家のしつらえはどれも整っていて、静かで、節度があった。ところがあの供物台だけは色が深く、彫りが古く、まるで別の時代からそこへ差し込まれたように見えた。まだ器物の来歴などという言葉を知らなかった頃の麻子でも、本能的に思った。これは、松平家のものらしくない、と。

麻子は額の文字について訊いた。

松平のおじさんは最初こそ笑って、先祖からの古い品だと答えた。けれど、どうして日本の家にあるのに日本語らしくない文字が書いてあるのか、と重ねて訊くと、ほんの一瞬だけ間を置いた。それから、昔の書き方みたいなものだろう、あまり気にしなくていい、と言った。

「気にしなくていい」

その言い方を、麻子は妙にはっきり覚えている。

言葉そのものより、話しながらおじさんの目が供物台から外れていったことのほうを。父も横で笑いながら口を挟み、子供は何を見ても珍しがるものだ、しつこく訊くものじゃない、ととりなした。

けれど、そうやって遠ざけられればられるほど、麻子はかえって見たくなった。

午後、大人たちは客間で話を続け、麻子と兄は庭へ追いやられた。兄は木の枝で地面に地図を描いていたが、麻子はボールを取りに行くふりをして、こっそりまた客間の戸口へ戻った。引き戸の外に立って、隙間からあの供物台を覗き込む。木肌は周りの家具よりずっと暗く、端のほうだけ、長年手で触れられてきたらしいわずかな艶があった。飾りというより、供えられていながら、その来歴をわざと低く伏せられている品のように見えた。

その夜、食事のあとで大人たちは酒を飲み始めた。客間の声が少しずつ大きくなる中、麻子は落としてきた髪紐を取りにいって、戻る途中で、低く交わされた二つの言葉を聞いた。

一つは松平のおじさんの声だった。

「あの部分は、まだ新しすぎる」

もう一つは父の声だった。

「あと何年か経てば、わからなくなるかもしれない」

当時の麻子には意味がわからなかった。

けれど、その意味のわからなさごと、供物台の姿と一緒に何年も記憶に残った。

その晩、客間の隣の部屋で横になっても、麻子はなかなか寝つけなかった。兄はとっくに寝息を立てていたが、麻子の耳には遠くの波の音と、さっき聞いた二つの言葉だけが残っていた。ものが怖いのではない。大人たちが、知っているのに最後まで言わない、その気配のほうが不気味だった。戸の向こうに人がいるのは明らかなのに、部屋は空っぽだと皆で言い張っている、そんな感じだった。

帰りの汽車の中でも、麻子はやはり訊かずにいられなかった。

「あの額の字、どうしてほかの字と違うの」

父は窓の外を見たまま、しばらくしてから言った。

「古い家の古いものには、もともと、よくわからないところがあるものだよ」

「でも、松平のおじさんは、気にしなくていいって」

「なら、気にしなくていい」

叱りつける声ではなかったが、それ以上は訊かせない線が、そこにはあった。麻子は言葉を呑み込んだ。窓の外は少しずつ暮れていき、線路沿いの灯が一つ、また一つと点り始めた。麻子は自分の小さな布袋を抱えていたが、胸の奥には終始、何かがつかえたままだった。後ろの席で兄がまた妙な顔を作って笑わせようとしてきても、ろくに笑えなかった。

家へ戻ってから、麻子は紙にあの額の字を思い出せるだけ書きつけてみた。けれど当然ながら全部は覚えていない。覚えていないことが、かえって気にかかった。少しだけ見えたのに、全部は掴めなかったものほど、あとで長く残る。

練習帳のいちばん後ろの頁に、麻子は供物台の形までこっそり描いてみた。龍亀の頭はうまくいかず、額の比率も曖昧で、何度描いても似なかった。それでもやめられなかった。ある日、母にその頁を見つけられ、「どうしてまだ人さまの家のものを描いているの」と言われたことがある。麻子が「きれいだったから」とごまかすと、母は帳面を閉じて、「きれいでも、見すぎないほうがいいものはあるよ」とだけ言った。

その意味を、当時の麻子は考えもしなかった。

ずっとあとになって思い返したとき、麻子はようやく気づいた。母も、何も知らなかったわけではないのかもしれない。ただ、知っていて、言わないことを選んだのだ。

帰り際、麻子はもう一度だけ振り返った。

その最後の一瞥で、「松平」の二字だけ、ほかより深く、強く彫られているのが見えた。刃の入り方も違う。よく見れば、その周りに磨いて埋めたような跡もある。子供の目の鋭さで長く見なければ、見落としてしまう程度の細い違和感だった。

その時、麻子ははじめて、ぼんやりとした不安を覚えた。

供物台そのものが怖かったのではない。

大人たちが、何かをわざと最後まで言わないことのほうが、気味悪かった。

その後の歳月、麻子も自分を言い聞かせようとしなかったわけではない。あれは古いものを繕った跡にすぎないのかもしれない。子供の頃に見間違えたのかもしれない。あの夜の二つのささやきも、もとはまったく別々のことを言っていただけかもしれない。

けれど人がいちばん騙しきれないのは、たいてい、ずっと昔に自分がふと疑いを抱いてしまった、あの一瞬なのだった。

それから年月が流れ、麻子は中国へ来た。青島の路地の鍛冶屋で、劉家の供物台を見た瞬間、子供の頃から心の底に沈んでいた違和感が、ようやく一つの形を持ち始めた。

もし「松平」の二字が本当にあとから彫られたものなら、松平家の供物台は、ただの伝来品でも、偶然手に入れた骨董でもない。

誰かが、もともとそこにあった別の名を削ったということになる。

そして麻子自身もまた、松平という名を持つ者だった。

その事実が胸の中で結びついた時、背中を冷たいものが這うようだった。

中国が好きだ、古いものが好きだ、というだけで追いかけてきた話ではなくなった。いま自分が追っているのは、この供物台がどこから来たのかだけではない。自分の家が、昔これに何をしたのかということでもある。

劉家の鍛冶屋で埃をかぶった供物台を見つめながら、麻子ははじめてはっきり認めた。

自分がこれから掘り当てるものは、誇れるものとは限らない。