第二十五章 質物

劉硯秋は、それほど長く僕を待たせなかった。

翌日の夕方、泊まっている安宿の前で、受付の女が一枚の折り畳まれた紙を渡してきた。時間と場所だけが書いてあり、差出人の名はない。僕はしばらくその文字を見ていたが、結局は胸ポケットへしまった。誘いというより、話を続ける価値があるかどうかを測る最後の試しに近かった。

指定された場所は、鎮の外れの古い家屋だった。

門は小さい。けれど中は驚くほど整っていて、部屋の隅には文書用らしい灰色の箱が積まれ、机の上には洗い切れていない拓包が二つ置かれていた。劉硯秋は机の向こうに座り、僕が入ると挨拶もなく、半ば冷めた茶杯を一つ押してよこした。

「飲む飲まないは任せる。時間はあまりない」

座ったところで、彼女は遠回しな前置きをしなかった。

「昨日の拓本は見た。器形も、縁の刻みも合う。偽物で試しに来たのでないなら、君の家にあるものは、うちに伝わる記述と同じ系統の品」

「だったら、どうして昨日は文化站で話さなかったんです」

「あそこは、私一人で決める場所じゃない」

劉硯秋は言った。

「それに“松平”の二字が出た時点で、他の人が最初に起こすのは好奇心じゃない」

それには反論できなかった。

彼女は箱から薄い挟みを一冊抜き、一頁を開いてこちらへ向けた。字はそこまで古くない。だが明らかにもっと古いものを写した手だった。中央の一行だけで、僕には十分だった。

副座東去、非贈。

指先が固くなる。

「どこから出たんです」

「曾祖父が残した抄本の中にあった」

劉硯秋は平らに言った。

「その脇に、後の手でさらに一行ある。『受官迫、借海舶、以副座為質。』走り書きみたいな字だった。どうして東へ渡ったのか、うちの側から残せる言葉は、たぶんこれだけ」

口の中に、渋いような、乾いたような味が広がった。

贈られたのではない。

岸へ追いつめられたところで、副座を舟と道に替えたのだ。

東京の図書館で「為質」を見た時には、まだどこかに逃げ道を残していた。文書の語り口かもしれない、間にもっと別の段階があるのかもしれない、と。だが劉家の側の抄本に「非贈」とまで記されると、もう都合のいい緩衝材は残らない。

劉硯秋は、責め立てるふうでもなく僕を見ていた。

「これで、昨日ああいう顔をした理由は分かる」

しばらく黙ってから、僕はようやく答えた。

「分かります」

「松平の家では“代々伝わった旧器”で済むのかもしれない。でもこっちでは違う。最初から、綺麗な来歴にしようのない物だった」

その言葉は正しかった。

正しいからこそ、返すべき言葉が見つからない。

「もし僕の家が、その重さを軽く言ってきたなら」

僕は抄本を見たまま言った。

「その軽さの勘定は、まず松平の側に付くべきです」

劉硯秋はわずかに目を止めた。予想していなかった返し方だったのかもしれない。だが、それで急に情が混じることはなかった。彼女はもう一枚、別の紙をこちらへ押した。

「認める認めないは、その先の話。今、先に見るべきはこっち」

そこには地名と方位語が並び、ところどころ水運の者しか使わなさそうな短い句が入っていた。単独で見れば雑然としている。だが祖母のノートにある浅い刻み、龍首の向き、「北折」「石門」といった断片を重ねていくと、ばらばらだったものが少しずつ集まり始める。

指しているのは山東ではなかった。

水路を西南へ下り、赤壁の旧地のあたりからさらに奥へ入る筋だ。

「長江ですか」

思わず顔を上げる。

劉硯秋は頷いた。

「私も大まかなところまでしか読めてない。後の代で、ほんとうに最後まで歩いた人はいない。ただ、副座が門を見分けるためのものだとしたら、路が別の土地に落ちるはずはない」

胸の奥で小さく跳ねたものを、僕はすぐ押さえた。

「それを、この先も見せてもらえるんですか」

劉硯秋はすぐには答えず、紙を回収して整えた。

「昨日、文化站で君が“祖母は中国が好きで”なんてもう一言でも足していたら、今日はここに呼んでない」

彼女は言う。

「好きなのと、古い帳尻は別だ。好きだからって、そこに立つ資格ができるわけじゃない。混ぜるな」

刺さる言い方だった。けれど、僕はむしろ少し楽になった。彼女が僕を、ただ松平の姓をつけた人間としてではなく、言葉の意味を聞き分ける相手として見始めているのが分かったからだ。

「分かっています。僕は、見栄えのいい結論をもらいに来たわけじゃない」

劉硯秋は少しのあいだ僕を見ていた。どこまで本気かを量っているような目だった。

やがて最後に、小さな紙片を一枚だけ抜く。

そこに書かれていたのは一行だけだった。

江右石門、三折近赤岸。

「君の家の拓本にある刻みと、これなら繋がる。ほんとうに先へ行くなら、このあたりを当たることになる」

その一行を何度も見返しながら、僕の中では二つの重さが同時に増していた。ひとつは、確かに路が形を取り始めたという重さ。もうひとつは、形になればなるほど、松平の側が負うべきものも、曖昧なままではいられなくなるという冷たさだった。